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舞台『王妃の帰還』が最高過ぎたので、皆に魅力を伝えたい!



※ 本ブログは、舞台『王妃の帰還』の感想記事です。舞台・原作の若干のネタバレを含みますので、閲覧の際はご注意ください ※


1.
思いがけない出逢いがあった。
先日、“人生の一本”というべき舞台を観たのだ。

 

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JR新橋駅の北改札を出、銀座に向かって高架橋の沿道を進むと、『博品館劇場』という建物がある。おもちゃ店が併設するビルの8階、エレベーターを上った先の劇場で鑑賞した舞台は、題名を『王妃の帰還』といった。
たまたま、職場から近かったから。
たまたま、知っている役者が出ていたから。
そんな、出来心にも似た好奇心で足を運んだシアターで、私は、魂が沸き立つような舞台体験をしてしまった。偶然を手繰り寄せた先の邂逅を運命というなら、私が『王妃の帰還』を観たのもきっと、運命なのだろう。あの日の感動をいつでも思い出せるよう、私は夢中でペンを走らせている。


思いがけない出逢いがあった。

 

2.
『王妃の帰還』は、2022年3月20日から27日にかけて上演された、『少女文學演劇』の第二弾にあたる作品だ。『少女文學演劇』とは、文字通り少女文学を舞台化するプロジェクトで、今作は、柚木麻子先生の同名小説を原作としている。SNSをはじめ、作品は多くの観客から高評価を獲得し、千穐楽では舞台の後日配信を行うことが発表された。そんな物語のあらすじは、こうだ。

【あらすじ】
私立の女子校中等部2年生の前原範子(=ノリスケ/岩田陽葵)はクラスでは目立たない存在だけど、親友の遠藤千代子(=チヨジ/伊藤純奈)や気の合う仲間と〈地味グループ〉の一員として楽しく学校生活を送っていた。

そんな日常の中、クラスに突如巻き起こる「腕時計事件」!!
この事件をきっかけに、クラスのトップ〈姫グループ〉のリーダーとして君臨していた滝沢美姫(=王妃/上西 恵)は、その座を追われることとなる。

密かに王妃に憧れていたノリスケは、チヨジと力を合わせ、王妃を元のグループに戻そうと「プリンセス帰還作戦」を決行!
しかし、王妃の親友だった村上恵理菜(=エリナ/佐藤日向)があの手この手で作戦を阻止し、クラスの他のグループ〈ゴスロリ軍団〉や〈ギャルズ〉、〈チームマリア〉も巻き込んで、さながらフランス革命下剋上の様相に———。

クラスは元の平和を取り戻せるのか…?
はたしてノリスケと王妃のグループを飛び越えた友情は成立するのか…?

出典: https://shojo-bungaku.com

 

あらすじを一言でまとめると、「スクールカースト最下層の地味子たちが、失墜したかつてのトップを迎え入れ、彼女が元の居場所に帰れるよう奮闘する話」だ。以下に、主要人物のプロフィールを簡単にまとめる。

【地味グループ】
前原範子 [岩田陽葵]
愛称はノリスケ。物語の主人公で、狂言回しを務める。
引っ込み思案だけど、他人を思いやれる性格の持ち主。

遠藤千代子 [伊藤純奈]
愛称はチヨジ。ノリスケの一番の親友で、2人は家族ぐるみの付き合い。
その場の空気を正しく読み、上手に立ち回る「面白い人」キャラ。

鈴木玲子 [小嶋紗里]
愛称はスーさん。ノリスケたちが通う『聖鏡女学園』の理事を父に持つ。
グループ一の常識人で、何事にも動じない度胸がある。

リンダ・ハルストレム [長谷川里桃]
愛称はリンダさん。スウェーデン人の父と日本人の母のハーフ。
普段は大人しいが、悪口を言う時だけは別人みたいに生き生きしている。


【ギャルズ】
安藤晶子 [清水らら]
女子力が高く、新しいものが好き。常にクラスの二番手に甘んじている。
滝沢美姫による狂言窃盗『腕時計事件』では、犯人に仕立て上げられた。

【チームマリア】
伊集院詩子 [倉持聖菜]
お淑やかな優等生で、クラスの学級委員。さらさらのロングヘアが特徴。
クラスの風紀が乱れるのを嫌い、校則違反を厳しく取り締まる。

【ゴス軍団】
黒崎沙織 [後藤早紀]
ビジュアル系バンドやゴスロリを愛する。『腕時計事件』の告発者。
他のグループには冷淡な態度を取るが、内心では身分階級に疑問を抱いている。

【姫グループ】
滝沢美姫 [上西 恵]
愛称は王妃。絶世の美貌と我儘な性格の持ち主。
クラスのトップに君臨する勝ち組グループのリーダーだったが、
自らが首謀した『腕時計事件』がきっかけで、グループを追放される。

村上恵理菜 [佐藤日向]
姫グループのNo.2。王妃に負けず劣らずの、中学生離れした容姿をしている。
利口そうな佇まいとは裏腹に、腹黒い魂胆を隠し持っている。

参考: 柚木麻子(2015)『王妃の帰還』,  株式会社実業之日本社

 

中学生といえば、芽生え始めた自我に困惑し、自分の心すら満足に操れない、多くの人にとって“人生で最も多感な年頃”だ。この作品は、そんな“年頃の女の子”たちの危うさを、グロテスクなまでに生々しく描いている。例えばあるキャラは、気が利かず、思ったことをズケズケ言って他人を傷付けてしまうし、またあるキャラは、気に食わないクラスメイトを容赦なくハブったりする。カーストの変動なんてしょっちゅうだ。悪目立ちすると、即刻、イジメの対象になってしまうのである。なんというえげつなさ。そこには、河原の土手で殴り合って、大の字に寝そべって仲直り…みたいな単純さは、基本的に存在しない。

下層出身の主人公『ノリスケ』は、常に周囲の顔色を伺い、浮いてしまわないよう努めている。だが、『プリンセス帰還作戦』の最中、彼女はそんな身分階級に嫌気が差し、上下関係をぶち壊そうと、ジャンヌダルクさながらに立ち上がることになる。学校という閉鎖された社会で、弱者が、特権階級の悪女に立ち向かう『ピカレスク』的な物語は、この作品の大きな魅力と言えるだろう。
ちなみに、『ピカレスク小説』は、16世紀のスペインで発生した後、17〜18世紀にはフランス・ドイツでも普及してゆく。そして、『ノリスケ』は、世界史の──とりわけ、17〜18世紀のフランス、マリーアントワネットの時代をこよなく愛する歴史オタクだ。このように、フランス革命を模して書かれた本作は、身分階級といいピカレスクといい、当時の世情を巧みに盛り込んでいる。個々の要素を咀嚼し、現代風にアレンジする原作者・脚本家の手腕に、私は舌を巻いてしまった。

なお、『少女文學演劇』と銘打っているだけあり、『王妃の帰還』は、登場人物全員が女性キャストで固められている。このキャスティングは、人間模様のリアリティ・説得力向上に一役買っているのだが、もしかしたら、中には、こう思われる方もいるかもしれない。「女の子あるあるばかりで、男が観ても楽しいの?」。
気持ちは分かるが、どうか安心頂きたい。コレを書いている私は男だ。しかも、オタクだ。女心はおろか、眉の整え方も、服の選び方さえも分からない。それでも、この作品は、私にとっての“人生ベスト”に変わりないのである。

先のピカレスク的な要素に加えて、彼女たちの危うさは、中学生という年代そのものの“多感さ”にも通じる。「うわ、えぐい!そこまでやるか!」と驚く場面は結構あるものの、それはあくまで行為の程度にびっくりしているのであって、行動原理そのものは単純な程純粋で、分かりやすい。男の私でも共感できる部分は多いのだ。
しかしながら、『王妃の帰還』を“人生ベスト”たらしめるもの──その要因は、ストーリーの明快さでも、キャラクターの分かりやすさだけでもない。それは、座長の岩田さんはじめ、キャストの皆さんの熱演と、彼女たちが扮するキャラクターの描かれ方である、と私は思っている。

 

3.
キャストの熱演を語る上で欠かせないのは、なんといってもノリスケ役の岩田陽葵さんの存在だろう。
岩田さん演じるノリスケは、引っ込み思案な所はあるが、他人の為に犠牲を払うことを厭わない、強い正義感を秘めた女の子だ。王妃が嫌がらせを受けた際には、彼女を身を挺して庇うなど、ノリスケの殊勝さは、物語を通して度々強調される。ただ、その一方で彼女は、他人の感情の機微・乙女心にはてんで疎く、劇中でも「恋する気持ちを分からないガキ」と評された。総じて、ノリスケは、健気さと幼さを併せ持った性格の持ち主と言えるだろう。
そんなノリスケというキャラクターを、岩田さんは、体全身で天真爛漫に表現されていた。華奢な身体を一杯に使って、舞台を駆け回る岩田さんの姿は、まさに純朴なノリスケそのもの。周りの出来事に対して、感情豊かに一喜一憂する様がとにかく可愛く、私の目は、岩田さんにしょっちゅう釘付けになっていた。特に、彼女がおさげを解く場面では、可愛さのあまり両目がハートの形になっていたかもしれない。『ギャル軍団』の内田さんが「超可愛いんですけど!」と話しかけた時、心の声が口をついて出たのかと思って、内心ちょっと焦ったくらいだ。

だが、岩田さんの演技の魅力は、愛くるしさだけに留まらない。私が印象に残っているのは、彼女が、スクールカーストの最上位『姫グループ』のNo.2・村上恵理菜に、敢然と立ち向かうシーンだ。
エリナこと村上恵理菜は、ノリスケたちの『プリンセス帰還作戦」を快く思っておらず、あの手この手で一行を妨害してくる。絶対的権威を持つエリナと真っ向からやり合っても勝ち目はなく、ノリスケたちは、長らく耐え忍ぶ戦いを余儀なくされていた。だが、イジメの矛先が仲間に向けられたことで、事態は急変。ついに堪忍袋の尾が切れたノリスケは、正面切ってエリナに食ってかかるのだった。

全部、全部、この女のせい──。こうなったら完膚なきまでに叩きのめしてやる。
出典: 柚木麻子(2015)『王妃の帰還』,  株式会社実業之日本社 p.223


この時の岩田さんの演技が、記憶に焼き付いて離れない。
今にも血涙を流さんばかりの、見開き、血走った瞳。過呼吸のように震える肩。爪を立てるかのごとく、きつく握りしめた拳。刺し違えてでも、この女をぶちのめす──そんな宿命を背負った立ち姿に、観客の私ですら、思わず慄き、たじろいでしまった。

引用文にもあるように、原作のこの場面では、ノリスケの激昂が荒々しい言葉で綴られている。緊迫感が切実に伝わる文章は素晴らしく、私は、ページをめくる手が止まらなかった。ただ、それを差し引いてなお感動したのは、岩田さんが、本文には無いノリスケの息遣いまで再現されていたことだ。文章には表現されていない筆者の真意を汲み取ることを、『行間を読む』と言うが、あの時の岩田さんは、まさしく行間に隠されたノリスケの人物像を汲み取っていたように思う。ただただ、圧倒的な迫力だった。

また、この“行間の表現”で言えば、チヨジ役の伊藤純奈さんの名演も印象的だ。

劇中にてノリスケは、無二の親友であるチヨジを、「その場の空気を正しく読み、上手に立ち回る」と評している。実際、彼女は中学生離れした聡明さの持ち主で、劇中ではグループの頭脳として大活躍した。何を隠そう、『プリンセス帰還作戦』の発案者も、彼女だ。
それ以外にも、チヨジはしばしば“周りがよく見える人物”として描かれる。だが、この優れた観察力は、実は繊細さの裏返しなのだ。

人より多くのことに気付き過ぎるチヨジは、言葉尻ひとつや、ふとした挙動からでさえ、自分が相手にどう思われているのかを感じ取ってしまう。いくら賢いとはいえ、彼女の精神は、まだまだ未熟だ。悪意を受け流す余裕などなく、むしろ、全てを真に受けてしまう。彼女はとても傷つきやすいのだ。
不幸なのは、チヨジ自身 “自分が落ち込んでいる姿を見せたら、皆に迷惑がかかる” のを理解していることだろう。長所であるはずの聡明さが、皮肉にも、彼女を無理に明るく振る舞わせてしまうのである。親友からすげない態度を取られても、表面上は平気そうに笑って見せ、裏でひとり、寂しさを抱え込むのだ……。
これ以上はネタバレになる為、割愛しよう。気になった方は是非、原作・舞台の後日配信をご覧頂ければ幸いである。

時に、チヨジ役の伊藤純奈さんは、そんな彼女の繊細さを、とても大切に演じられていた。特に印象的だったのは、逆境における、自分を鼓舞するような言葉づかいと、王妃に夢中なノリスケを見る時の憂いの表情だ。
前述の通り、チヨジは他人に弱さを見せない。彼女を演じた伊藤さんも、普段は気丈な態度を崩さないのだが、時々、表情が切り替わる間の一瞬だけ、ひどく悲しそうな顔をみせることがあった。彼女の性格柄、次の瞬間には元に戻っているのだけれど、失望や孤独、悲愴など、あらゆる負の感情が溶け込んだ面持ちは、さながら混ぜ過ぎた絵の具のよう。うつむき顔に影が落ちる、哀愁に満ちた佇まいが、サブリミナル的に、強烈に記憶に残っている。一見しただけでは見逃してしまいそうな部分まで、とにかく表現が行き届いているのだ。

ここには書ききれないが、その他のキャストについても、それぞれの形で “原作の行間” を演じられていた。皆さんとても素晴らしかったので、後日配信を視聴する際は、一人ひとりの一挙手一投足まで見逃さないようにしたい。

 

4.
既に述べてきたように、『王妃の帰還』に、“完璧な人間”は存在しない。敵役のエリナは勿論、主人公のノリスケやチヨジでさえ、弱さや欠点だらけの不完全な人間だ。各々に未熟さがあり、それゆえに彼女たちは、何度もぶつかり、傷つけ合う。その様はまるで、血で血を洗う革命のようだ。彼女たちの抱える複雑な感情は、お世辞にも綺麗とは言い難く、むしろ醜い部分も少なくない。でも、それは、観客の私たちとて同じなのだ。
この舞台の素晴らしさは、そんな誰しもが持つ“醜さ”を、あるがままに、愛おしいものとして描いたことである。

冒頭で述べた通り、この作品は、年頃の女の子をグロテスクなまでにリアルに描いている。言ってしまえば、彼女たちは、かつての私たちそのものなのだ。その言動には否が応でも共感してしまうし、自分の後ろめたい記憶を引きずり出されることもあるだろう。海を割るように浮上し、白日にさらされた記憶は、目を背けたくなるほどに歪で醜悪である。他ならぬ自省のまなざしによって、自らの心は、焼けるような痛みすら覚えるかもしれない。
だが、『王妃の帰還』のエンディングは、それらすべてを優しく包み、肯定する。どこの誰だって、かけがえのない存在なのだと断言する。“少年少女”だけではない、誰もがプリンスであり、プリンセスなのだ。
この作品において、心に差し込む光は、己が罪を暴きだす断罪の剣ではない。むしろそれは、私たちを誇らしいものとして称える讃美の灯りなのだ……物語について、これ以上はもう何も言えない。

『王妃の帰還』を観終えたとき、私は、夕陽の光が筋になって、心の海に白くのびてゆく感覚を覚えた。命が運ばれ、この世に生を享けた瞬間を思い出したような、温かで爽やかな、根源的な感動に満たされた。不揃いで不格好な思い出たちが、西日を反射し、宝石のようにきらきら輝いて見えた。自分の今までのすべてが、愛おしく思えた。涙が止まらなかった。

だからどうか、一人でも多くの人に、この青春舞台の大傑作を観て欲しい。ダサくて地味な、だけどとってもしぶといノリスケが、王妃を帰還させる最後の瞬間まで、逃さず見届けて欲しい。物語の幕が下りたとき、今よりきっと、自分を好きになっているはずだ。


ノット