『そして最後のページには』。

 
Days are shining.”
この1文を日本語にするとき。
あなたは“Days”をどう訳しますか?
 
日々?
 
 
毎日? 
 
 
 
 
…それとも、「季節」?
 
 
『そして最後のページには』
 
皆さんこんにちは、ノットです。
 
皆さんは『そして最後のページには』という楽曲をご存知でしょうか?
 
この曲は、TVアニメ『ラブライブ!』2期のBlu-ray第7巻・もとい『ラブライブ! 9th Anniversary Blu-ray BOX Forever Edition』に収録されている、いわゆる円盤曲。
通称『そしぺ』とも呼ばれています。
 
意味深なタイトルはもちろんのこと、
9人の想いを紡ぐうちに自然と出来たような、気付けばそこにあったような歌詞が印象的ですね。
 
現実のライブでは1度しか披露されていなかったり、過去2回放送されたラジオ『今日は1日“ラブライブ! ”三昧』でも紹介されなかったり…と、お世辞にも知名度が高いとは言えないこの曲。
 
ですが、僕はこの曲が大好きなんです。
μ'sの全楽曲の中でも、5本の指に入るくらい。もう超好き。めっちゃ好き。
 
 
Blu-ray BOXが発売され、多くの人が音源を手に入れた今は、楽曲の話をするには絶好の機会。今回は「隠れた名曲」たる『そしぺ』の歌詞を、余すことなく語り尽くしたいと思います。
 
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もくじ
 
 
最後の項目では、曲のタイトルに込められた意味について、僕なりの答えを載せられたらと思います。
 
 

1. 場面を切り取ることば

 
冒頭では、9人の想いを紡ぐうちに自然に出来たのが『そしぺ』…というような話をしました。自分で言っておいて何なんですが、
 
「要するにどういうことなのか?」
 
とお思いになった方もいるかもしれません。そこで、最初の項目では、歌詞の確認をしつつ、後の話の前提となる解釈を紹介していきます。
 
『そして最後のページには』
作詞: 畑亜貴/作曲: 渡辺和紀

Days are shining こんなふうにがんばれば
Days are shining こんなふうにがんばれば
Days are shining ぴっかりと!


一人きり 帰りたくない
道端で立ちどまり
見つけてよ 私のことをなんて考えてた
(I'm lonely girl)

だんだんとわかってくる
怯えてちゃダメなんだと
自分から話しかけてみたあの日が
(あの日から)


緊張の連続 慣れないことばかり
ぎこちない私
(きっと)

考えすぎでしょう!気にしすぎでしょう!

いまはそれさえ笑い話 ずいぶん強くなったみたい
いろんなことがあったね 怒ったり泣いたり忙しく
真っ白なノートブックへと想い出が増えてゆく
表紙に小さくありがとうって書きたいな
いつかね…いつかね!



Days are shining 今日は今日のがんばり感
Days are shining しっかりと!

できること できないこと
もつれたらほどけずに
余裕ない自分になってた 出口が見えなくて
(I'm puny girl)

もやもやを消すためには
新しい気持ちになって
トラブルを乗り越えようって決めたときに
(決心のとき)


違う世界へと風が流れたよ
変わってゆく私
(そして)
繋がったのでしょう!この場所への道!

だから尽きない笑い話 みんな強くなったみたい
いろんなことがあったね 忘れられないエピソード
真っ白なノートブックから一冊の本になるよ
最後のページはどうなるのか
わからない…まだわから
ないよ…


悩みすぎたかも!気にしすぎたかも!
いまはそれさえ笑い話 ずいぶん強くなったみたい
いろんなことがあったね
怒ったり泣いたり忙しく


真っ白なノートブックへと想い出が増えてゆく
表紙に小さくありがとうって書きたいな
いつかね…いつかね!

Days are shining


Days are shining こんな風にがんばれば
Days are shining ぴっかりと!
 


まず注目すべきは、

AメロとBメロのソロが
1番だと2年生→1年生→3年生
2番だと3年生→2年生→1年生
の順になっていることです。
 
更に言うと、1番の歌い順は“9人がμ'sに加入した順番”と概ね一致しており、2番の歌い順は“9人が音ノ木坂学院を卒業する順番”と一致しています。μ'sの結成とメンバーの卒業──すなわちグループの解散は、それぞれアニメ1期・2期の基幹となっている部分です。
 
このことから、『そしぺ』の歌詞は、1番ではアニメ1期の、2番では2期の物語を綴ったものという仮説が立てられるのではないでしょうか?
 
ただ、これだけだと根拠としてやや弱い気もします。そこで、Aメロ・Bメロのソロパートについて、もう少し掘り下げた話をしてみましょう。
 
 

Aメロ・Bメロを読む (1番)

 
一人きり 帰りたくない
道端で立ちどまり
見つけてよ 私のことをなんて考えてた
(I'm lonely girl)
 
Aメロの頭を担当するのは、穂乃果・海未・ことりの2年組。
 
ところで、アニソンを聴いていると、曲に合わせて劇中の場面が脳裏に浮かぶことって結構あると思うんです。
これは、アニソンが劇伴的な側面を持っている──歌詞やメロディーが物語と結びついているが為に起きている思うんですが、実は『そしぺ』でも同様の現象が見られます
 
ここでは、
 
① 1期1話で、穂乃果が「今の1年生は後輩のいないまま卒業することになる」と言われる場面。母親が卒業アルバムを眺めるのを覗き見る場面
 
② 1期5話の、海未と穂乃果が出会う回想シーン
 
③ 1期13話で、ことりが留学に行くのを躊躇う場面
 
 
 
以上3つ。
2年パートを聴くとき、ぼくの脳裏にはいつもこの場面が浮かんできます。
 
また、
 
──皆の輪の中に入りたいけど、入れない。穂乃果があの日見つけてくれなければ、私は今も1人だったかもしれない。
 
──皆のもとを離れて1人留学。行った方が良いって、頭では分かっているけど、本当はお別れしたくない。でも、言えない。引き留めて欲しい。
 
という具合に、歌詞に主語を当てはめても意味が成立するのも面白いですね。同じ歌詞のハズなのに、海未のことを言っているようにも取れるし、ことりの話をしているようにも取れるんです。
この「主語の互換性」は、次の1年パートでより顕著に見られるようになります。
 
 
だんだんとわかってくる
怯えてちゃダメなんだと
自分から話しかけてみたあの日が
(あの日から)
 
浮かんでくるのは、1期4話。
神回の呼び声が高い#4「まきりんぱな」における1年組3人の加入シーンです。
 
 
──「女の子らしくない自分」というコンプレックスを抱えているけど、本当はスクールアイドルをやってみたい。
 
──「背も声も小さな自分」はスクールアイドルには向いていないかもしれない。でも、アイドルへの想いは誰にも負けない。譲れない。
 
──本当は優しいのに素直になれない。上手に打ち解けられない。でも、話しかけたい。
 
3人とも、同じ場面を指して「あの日」と言ってるんですよね。
真姫に関しては、ちょっと後の
 
「眼鏡取ったついでに、名前で呼んで」
 
 
の所でも良いかもしれない。思えば、真姫って割と初期からデレてますね笑
 
 
緊張の連続 慣れないことばかり
ぎこちない私
(きっと)
考えすぎでしょう!気にしすぎでしょう!
 
最後は3年生を見ていきましょう。
ここでは、
 
① 1期8話の、「生徒会長としての義務感」から廃校を阻止しようとしていた絵里が、希に本音をぶちまける場面
 
② μ'sや絵里を不器用に支えることしか出来ない希
 
③ 1期5話の、高過ぎる理想に付いてこれなくなった仲間が、にこから次々と離れていく場面
 

この3つが浮かんできます。
それぞれの視点に立つなら、
 
──自分を殺して、他人のために無理をし過ぎてしまう。張り詰めすぎてしまう。
自分が不器用なことも、空回りしてることも分かっている。
 
──目の前の彼女と同じくらい不器用な私は、誰かを支えることしか出来ない。
 
──理想を高く掲げるほど、それを追うほど、仲間を慮れなくなる。本当は皆と一緒にアイドルをやりたいのに、素直になれない。
 
という具合。
不器用さから来る「ぎこちなさ」か、素直になれないが故の「ぎこちなさ」なのか。違いはあれど、3人とも後にありのままでいられる場所を見つけたことには変わりありません。だからこそ、
 
考えすぎでしょう! 気にしすぎでしょう!
 
というフレーズが続くわけですね。
 
 
さて。ここまで「1番のAメロ・Bメロ部分」「アニメ1期」とのリンクについて、「主語の互換性」の話を交えつつ紹介させていただきました。
 
冒頭に挙げた、『そしぺ』の歌詞はアニメ1期・2期の総括であるという仮説にも、ちょっとは箔がついてきたのではないでしょうか? ここからは、今までと同じことを2番でもやっていきます。
 
 

Aメロ・Bメロを読む(2番)

 

先ほどの繰り返しにもなりますが、

1番の歌い順は、“μ’sに加入した順”と概ね一致していました。これが打って変わって、2番のAメロ・Bメロでは
 
3年生→2年生→1年生
 
と、“音ノ木坂学院を卒業する順”にソロパートが展開されていきます。
 
できること できないこと
もつれたらほどけずに
余裕ない自分になってた 出口が見えなくて
(I'm puny girl)
※ puny 【形】ちっぽけな; 取るに足らない
つまらない
 
I'm puny girl”とは、「ちっぽけな私」。
意訳するなら、「無力な自分」いったところでしょうか。1番と同様、にこ・希・絵里の3人が「自分をちっぽけ・無力な存在と思った出来事」もアニメの中で描かれています。つまり、
 
① 2期4話で、にこが妹弟にウソをついていたこと──「μ'sは自分のバックダンサー」と言っていたのが発覚する場面
 
② 2期8話で、ラブソング制作が暗礁に乗り上げてしまい、希が「9人全員で曲を作る」という夢を諦めようとする場面
 
③ 2期6話の、絵里もといμ'sメンバーが「自分らしさ」を見失ってしまう場面
 
 
の3つです。
 
話が少し逸れますが、1つ目に上げた「2期4話におけるにこの言動」は、人によって解釈が分かれるところだと思います。
以下でまとめているのは僕の考えですが、その大半は主観に基づいて好き勝手書かれたモノになっています。苦手な方は特にご注意くださいませ。
 
にこのバックダンサー発言について 

僕は、にこは「家族に寂しい思いをさせたくないが為に見栄を張っていた」のだと考えています。

元を辿れば、にこのウソがバレたのは、彼女が不在の母に代わって妹弟達の面倒を観なくてはならなくなったからでした。

最終回でのマザコンっぷりから推察するに、にこの母は家を空けがちで、娘や息子に留守番をさせることが多いのでしょう。高校生のにこはまだしも、幼い妹弟達にとって、「家に親がいない」というのは相当の孤独を苛ませることです。気持ちが通じあっていなければ、愛情不足にさえなり得るでしょう…にこは、そんな妹弟達を「笑顔にしてあげたかった」のです。アイドル研究部の空中分解を経験したにこは、彼や彼女等の寂しさを輪にかけて理解していたから。

学童の先生が絵本を読んで聞かせるように、「宇宙ナンバーワンアイドル」の寓話を話すのが自分の役目。そう考えたからこそ、にこはμ'sを「自分のバックダンサー」に仕立て上げたのではないでしょうか。

つまり、妹弟の「偶像」であるために、なりふり構っていられなかったということです
 

…とまぁこんな感じです。モチロン、

これだけが正解だとか、
異論は認めない
なんてことはないです。 
 
ただ、この考えに基づいて歌詞に主語を入れるなら、
 
──私は本当は立派じゃない。だけど、妹弟達を笑顔にしなくてはならない。大切な人が居なくなる寂しさを、私は誰より知っているから。たとえ妹弟や仲間にウソをつくことになったとしても…今までだって、そうしてきたから。
 
──μ'sは奇跡の存在。1人ぼっちだった私に居場所をくれた。私とよく似た、不器用な仲間を結んでくれた。出来るなら9人で何かを形にしたいけど…皆に無理はさせたくない。だって、あの日みた夢はもう叶っているから。それ以上はもう、高望みだから。
 
──本当の私の「本当」はなんだろう? 変わらなくてはならないこと、変えてはならないことって、どう違うんだろう。どうすれば私達は、次へと進めるんだろう?
 
となります。
絵里の1文目は、「中の人」こと南條愛乃さんのソロ曲ゼロイチキセキから引用させていただきました。
 
なんちゃん本人が「自分らしさ」を見つめながら書いた歌詞は、ネトゲを題材にしながらも、どこか寄り添うような温かみのあるものとなっています。気になった方はこちらからどうぞ(試聴動画のリンクを貼ってます)。
 
そして、
自分らしさを見失う
という要素は、次の2年パートにも引き継がれています。
 
 
もやもやを消すためには
新しい気持ちになって
トラブルを乗り越えようって決めたときに
(決心のとき)
 

歌詞にある「トラブル」という言葉には、

① もめごと、いざこざ、紛争
② 故障、不調
の2通りの意味があります。
 
アニメ2期が始まる時点で、μ'sは既に打ち解けていました。したがって今回は、② 故障、不調を取って話を進めようと思います。
この前提に則ったとき、浮かんでくるのは第2話。#2「優勝をめざして」の合宿シーンです。
 
 
ことりと海未が、そしてここにはいない真姫が、楽曲制作でスランプに陥ってしまった回ですね。3人は途中で脱走を試みるまでに追い詰められてしまいますが、最終的には仲間のかけた言葉が、彼女達を覆うもやもやに風穴を開けてくれました。
これを踏まえて、改めて歌詞を捉えていきましょう。
 
──この9人で出来る最後のラブライブ 。優勝の為に、3年生の為に楽曲を作らなくちゃって思ってた…でも、そうじゃなかった。それに、私達は1人じゃなかった。
 
──誰かが立ち止まれば、誰かが背中を押してあげればいい。私達は、いつでも全員で前に進んでいくから。
 
という感じ。
ことりと海未は、担当こそ違えど同じ悩みを抱えていました。そのため、ここではひとつにまとめてしまっています。
 
また、穂乃果の
 
「全員で前に進む」
 
という宣言は、結びのフレーズ。すなわち、
 
決心のとき
 
とイコールの関係にあります。
同話でにこが言っていたことでもありますが、μ'sの楽曲は、どんなときもずっと全員のためのものです。この絆は、9人でμ'sなんだという結束感は、2期11話にてグループ解散の決定打となるわけですが…それはまた別のお話。ひとまずは置いておきましょう。
 
 
違う世界へと風が流れたよ
変わってゆく私
(そして)
繋がったのでしょう!この場所への道!
 

長かった項目もいよいよ大詰め。

最後は1年パートを見ていきます。

ここでは、
 
① 2期9話で『Snow halation』が披露される直前の独白。真姫が「音楽が大好きで」とつぶやく場面
 
② 2期5話の、花陽が凛の背中を押す場面
 
③ 同じく2期5話で、凛がウエディングドレス調の衣装をまとい、『Love wing bell』を披露する場面
 
 
この3つ。
真姫については、違う場面を浮かべる方もいらっしゃるかもしれません。また、2期5話は何度見ても涙腺がぶっ壊れますね。
ブログを書くにあたって、アニメ本編やら感想のまとめを読み漁りましたが、何度見ても#5「新しいわたし」の破壊力はヤバかったです。サブタイからして強過ぎた。
 
…という余談はさて置いて。
 
『そしぺ』を聴いた方のおそらく大半は、この部分ではりんぱなのことを頭に浮かべると思うんです。
 
かつて背中を押してくれた凛の背中を
今度は花陽が押してあげる。
 
このとき、背中を押される凛はもちろん、受けた恩を返す花陽もまた「あの日」から成長している。その意味ではどちらも“変わってゆく私”なんですよね。
 
…では、真姫はどうでしょう?
 
穂乃果達の冗談に付き合うようになったり
仲間に本心を明かせるようになったりと、
アニメ1期・2期を経て真姫は本当に成長しましたよね。変化をあらわす描写も多く、また、そのいずれもが印象的。どれかひとつに絞るのは相当に難しい…それでも、あえて選ぶとするならば、僕は『スノハレ』の場面を選びます。
 
その理由は、μ'sに入らなければ、真姫は音楽の道を閉ざしていたからです。
1期4話 #4「まきりんぱな」には、
 
「私、大学は医学部って決まってるの。だから、私の音楽はもう終わってるってわけ」
 
 
と、真姫が花陽に語りかける場面があります。
どこの馬の骨とも分からない、ポッと出の(自称)スクールアイドルに曲を書くほど、真姫は音楽が好きなのに。それなのに真姫は、今にも音楽を辞めようとしていました。
 
そんな彼女が、A-RISEとの直接対決という大一番を前にして「音楽が大好き」と呟いている…。
 
「自分の気持ちに正直になる」という、真姫の身に起きた最大の変化が、ここでは象徴的に表れているのではないでしょうか。
そして、例によって歌詞に主語を当てはめると、こうなります。
 
──音楽が大好きな私。仲間が大好きな私…。μ'sに加わってから今日までの日々は、本当の気持ちを気付かせてくれた。私を素直にしてくれた。
 
──大好きな凛ちゃん。あの日、「引っ込み事案な私」に勇気をくれた凛ちゃん。私の世界を変えてくれた親友がいま、自分を乗り越えられずにいる…今度は私の番、です!
 
──背中を押して貰った「あの日」から、服を選ぶのが楽しくなった。鏡を見るのが嬉しくなった。叶えたい夢が生まれた!「可愛くなりたい」! そう思えたのは、みんながいたから!
 
 
と、いうことで。
1番に引き続き2番の「Aメロ・Bメロ」の歌詞を見てきました。多少強引な部分はあれど、「仮説」が考え方のひとつとして成立していることはご理解頂けたかと思います。
 
ただ…サビに入ると、これまでとは事情が異なってくるんですね。次の項目では、「Aメロ・Bメロ」と「サビ」の性質の違いについて、話をしていこうかと思います。
 
 

⒉ “真っ白なノートブック”とは?

 

『そしぺ』の歌詞は、アニメの内容を綴っているという仮説。その根拠として僕は、

 
① ソロパートの歌い順
② アニメと歌詞のリンク
③ 主語の互換性
 
の3つを挙げさせていただきました。
話は変わりますが、μ'sの劇中曲の多くは、「あくまで物語とは独立した存在」。つまり、「アニメと歌詞の繋がりが薄い」ものが大半となっています。
分かりやすい比較対象はAqoursの楽曲群で、あちらは、千歌が「実際に見聞きしたこと・感じたこと」が積極的に歌詞に盛り込まれてますよね。千歌は、作詞の際におのれをさらけ出している──誤解を恐れずに言うならば、「自分語り」をしているんです。
 
『Next SPARKLING‼︎』
 
なんかはその最たる例と言えるでしょう。
① 千歌の体験がそのまま歌詞となっていて
② その主語は一貫して「自分」である
 
もちろん、どちらが良い悪いとか優劣を付けるつもりはありません。みんな違ってみんないいの精神です…ただ、千歌と海未の「作詞のクセ」まで使い分ける畑亜貴って、本当に凄い。
 
アニメの内容にがっつり踏み込んでいる『そしぺ』は、確かにレアケースであるといえるでしょう。ですが、「主語の互換性」は「自分語り」の対極に位置する性質です。その意味で『そしぺ』は、あくまで「μ'sらしい歌詞」の域を出ませんでした
 
ただし、前述の通り、サビに入ると状況は大きく変わってきます。実際に1番の歌詞から見ていきましょう。
 

サビを読む (1番)

 
いまはそれさえ笑い話
ずいぶん強くなったみたい
いろんなことがあったね 怒ったり泣いたり忙しく
真っ白なノートブックへと想い出が増えてゆく
表紙に小さくありがとうって書きたいな
いつかね…いつかね!
 

今まで通りであるなら、

歌詞はアニメとリンクするはずだし、
9人パートなんだから
誰を主語に当てはめても意味が成立するはずです
 
ところが、蓋を開けてみると
アニメ本編に「真っ白なノートブック」なんて出てきませんし、全員が全員“怒ったり泣いたり忙しく”していたかというと、そんなこともありません。根拠がことごとく当てはまらないんですよね。
「リンク」も「互換性」も無い…いっそ清々しいまでのナイナイ続きです。
 
このように、やはり「サビ」の歌詞は「Aメロ・Bメロ」とは明らかに性質を異にしています。従来の解釈が通用しない以上、新たなアプローチを試みる必要があるでしょう。
 
 
結論から言わせてもらうと、
 「サビ」の歌詞=海未の独白
 
μ'sと過ごした日々を振り返って浮かべた感情を、そのまま歌詞に持ち込んでいる……
言い換えれば、この部分で行われているのは海未の「自分語り」
そう捉えると、自然と向かうべき道筋が決まってくるんです(若干人聞きの悪い表現ですが)。
 
順を追って読んでいくと、
 
いまはそれさえ笑い話
ずいぶん強くなったみたい
 
という部分の
それ”=「Aメロ・Bメロで挙げた場面の数々」
μ'sを結成してから9人で講堂を一杯にするまでの紆余曲折を指して“それ”と言っているんですね。つづく

いろんなことがあったね 怒ったり泣いたり忙しく
 
の“いろんなこと”も同様です。具体的には
「ことりの留学騒動」や「生徒会との衝突」
前の項目に載せていない所だと、
「講堂での初ライブ」なども該当するでしょう。先程は「この歌詞は全員に当てはまるものではない」と書きましたが、海未はこれら全てに当事者として関わっていますから、少なくとも彼女に関しては“怒ったり泣いたり忙し”かったと言えるのではないでしょうか。
 
 
そして、項目の標題にも掲げた
真っ白なノートブック”。本編にないソレが海未のものと考えれば、自ずと答えは見えてきます。つまり、
 
海未の作詞ノート」。
 
…これこそが、“真っ白なノートブック” の正体です。ノートに言葉を紡ぐ度に、同時にそこには“想い出”が書き込まれてゆく。

真っ白なノートブックへと想い出が増えてゆく
表紙に小さくありがとうって書きたいな
いつかね…いつかね!
 
ページをめくれば想い出”が、飛び出す絵本のように現れてくる。ともすれば、この場合のノートは、海未にとって「μ'sと過ごした日々」そのものを示すメタファーとも取れるかもしれません
 
 
極め付けは、表紙に小さくありがとう”と書く意味は、これまでの日々すべてに対する感謝──文字が小さいのは、恥ずかしがり屋な海未の「照れ」である
…だとしたら、スゴく可愛い話ですよね!
 
 

サビを読む (2番)

 

この記事を書き始めてからというもの、海未推しが止まらない自分がいます。


主語に互換性のある歌詞」なんて、余程普段からメンバーを観てないと書けないし…珍しく自分の話をしたと思ったら、案の定最後には照れ臭くなってるし。
 
もともと絵里推しだったのにおかしいなぁ。まあ、いいや笑 無駄話もそこそこに2番の話をしますね。
 
 
だから尽きない笑い話 みんな強くなったみたい
いろんなことがあったね 忘れられないエピソード
真っ白なノートブックから 一冊の本になるよ
最後のページはどうなるのか
わからない…まだわからないよ…
 
順接の接続詞“だから”を辞書で引くと、
前に述べたことを原因・理由として述べる文の文頭に置く語
{山口明穂, 和田利政, 池田和臣(2013)『国語辞典』旺文社より引用}
とあります。
この曲でいう「前に述べたこと」とはどこなのでしょう? 日本語には「直結の原則」といって
読み手の誤解を防ぐために
「かかり」と「うけ」を近くに置く
 
というルールがありますが、今回の場合、対象を直前の1年パートに絞ると、続く歌詞の解釈がおかしなことになってしまいます。
 
【理由】
違う世界へと風が流れたから
私が変わったから
この場所への道がつながったから

【結果】
笑い話が尽きない
 
この図の通りなら、
みんな”=まきりんぱな
となってしまう。理屈ではそうかもしれませんが、いくらなんでも不自然ですよね。となると、(若干回り道をした感が否めませんが)1番と同様2番のサビも「Aメロ・Bメロ」全部を踏まえて書かれていると捉えた方が良さそうです。歌詞を順に繋いでみましょう。
 
余裕ない自分になってた” けど、
トラブルを乗り越えようって決めたときに
違う世界へと風が流れ” て
この場所への道が繋がった”。
 
だから──

だから尽きない笑い話 みんな強くなったみたい
いろんなことがあったね 忘れられないエピソード
 
ノートを開き、手書きの歌詞を愛おしげになぞる海未…。思わず、そんなシチュエーションを想像してしまいます。
 
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真っ白だったノートブックには、いくつもの歌詞が書き込まれ、やがてひとつの本となってゆきます。罫線に佇む言葉たちは、さながら五線に並ぶ音符のように、懐かしき想い出を奏でるのでしょう。
 
…そして。
 
そして最後のページには』…?
 
真っ白なノートブックから 一冊の本になるよ
最後のページはどうなるのか
わからない…まだわからないよ…
 
真っ白なノートブック”が
「海未の作詞ノート」
「μ'sと過ごした日々そのもの」
の比喩と捉えるならば、“最後のページ”が示すものは火を見るより明らかです。
 
 
ノートの最後。
 
μ'sと過ごす日々の、最後…。
 
 
つまり、ここで表されているのは
「3年生が卒業したらμ'sはどうなるか?」
という問題。この時点で海未は「μ'sの終わり」について、まだちゃんと答えを出せずにいたんです。その後でわざわざ“まだ分からないと念押しするのは、「問題が進行系で存在していること」を強調するためだと考えられるでしょう。
 
前の項目で歌詞を確認した際に
#11「私たちが決めたこと」
を挙げなかった理由もここにあり、
 
トラブル=「μ'sの終わり」
とすると、「Aメロ・Bメロ」の時点で問題が解決してしまう。要はサビと食い違いが生じてしまうんですね
 
 
 
 
…もっとも、この食い違いは後に決定的な「矛盾」となって、もう1度立ちはだかることになるんですが…。
 
 

決定的な「矛盾」

 

既にお気付きの方もいらっしゃるかも知れせんが、実は


1番の歌詞=アニメ1期
2番の歌詞=アニメ2期
 
という前提自体、
かなりの無茶を孕んだ考えだったりします。
何故なら、この前提には「ラスサビ」が含まれていないから。
 
今までは存在を棚上げしていましたが、「ラスサビ」は言う前までもなく歌詞の中で最も重要な要素です。この「最重要要素」を無いものとしたしわ寄せは、先の話でいよいよ看過できなくなってきます。
 
アニメに3期はないし、かといって、「TVシリーズの特典曲」を劇場版と結びつけるのも何か違う…。
すなわち、先程述べた決定的な「矛盾」とは
ラスサビの解釈をするときに、これまでの「大前提」が通用しないということです
 
また、これは言い換えれば、
 
「ラスサビで海未は何の話をしているのか?」
 
という問題でもあります。
ここからは、「ラスサビ」の話をする前フリとして、何が前提と「矛盾」しているのか? 具体例を羅列していきましょう。
 
悩みすぎたかも!気にしすぎたかも!
いまはそれさえ笑い話
ずいぶん強くなったみたい
いろんなことがあったね
怒ったり泣いたり忙しく
真っ白なノートブックへと想い出が増えてゆく
表紙に小さくありがとうって書きたいな
いつかね…いつかね!
 
やはりと言うべきか、キーワードとなるのは
① 「いまはそれさえ笑い話」
② 「真っ白なノートブック」
上の項目でも取り上げたフレーズですね。
 
 
2番の歌詞を書いた時点で海未は
「μ'sの終わり」について答えを出せずにいた
…なんて話をしたのはつい先程のことでした。ですが、間奏を挟んで最初に来るのは
 
悩みすぎたかも! 気にしすぎたかも!
 
という、あたかも迷いが吹っ切れたようなフレーズです。この「迷い」や、つづく
 
いまはそれさえ笑い話
 
の“それ”が指すものは、グループの存続問題以外にあり得ないでしょう(かつて斥けた「直結の原則」が、ここではピタリと当てはまるわけですね)。「ラスサビ」の時点で、問題の答えは既に出ている…劇中の台詞を引用するなら、
 
「大会が終わったら、μ'sはおしまいにします!」
 
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…と、「ラスサビ」では問題について明らかに結論を出したあとの話をしているんですよね。しかも、“それ”が笑い話になるくらい大きな、時間的な隔たりも見られます。
 
同じ曲の歌詞なのに、「μ'sの終わり」は
2番では“今まさに直面する”問題として
ラスサビでは“既に解決して久しい”問題として
真逆の意味で書かれている。
これは一体どういうことなのか? というのが「第一の矛盾」になります。そして…。
 
 
μ'sとしての日々に終止符を打つなら。
 
「海未の作詞ノート」に歌詞が書かれることがないのなら。
 
 
どうして真っ白なノートブックへと想い出が増えてゆく”のか?
 
これが、決定的な「第二の矛盾」です。
 
2つの謎の解決が一筋縄では行かないことは、皆さんにも承知いただけるかと思います。
では、いかにして解き明かすのか…それは、
最後の項目までお待ちくださいませ
 
 

3.“Days”の語釈を考える

 
ここらでちょっと休憩をば。
 
ここからは一旦本筋から離れ、ラブライブ!という作品を形作る「ある単語」についての話をしていきたいと思います。
 
 

ラブライブ!と「季節」


ラブライブ!」の世界を象徴することばに

「季節」というものがあります。
対象となる物事を限定せず、歌詞に広がりや奥行きを与えるこの単語。お気に入りワードに挙げる人も多いであろう「季節」を広義に解釈すると、

青春時代における「瞬間」
あるいは「期間」
というような意味になります。
 
スクールアイドルは限られた時間で精一杯輝こうとする存在ですから、「季節」とはすなわち「青春時代」という集合に含まれる1要素だと思うんですね。そしてこの「青春時代」──長いようで短いひとときにまつわる格言に、こんなものがあります。
 
青春とは実に奇妙なものだ。
外から見ると赤く輝いているが、
内から見ても何も感じられない
 
格言に従うと、
青春の価値は、既にそれを終えたものにしか見えない。過ぎ去って初めて気付ける「輝いていた日々」ということになります。
完全に終えたとまでは行かずとも、今までの日々を一歩引いて見れなければ、その輝きは感じられないと言えるでしょう。
 
また、「季節」が「青春」の大枠に囲われているなら、上に書いた内容も当然当てはまるはずです。そこで以下では、実際に単語が用いられている楽曲を列挙していこうと思います。
 
いまここで出会えた奇跡
忘れないで 僕たちの「季節」


ユメノトビラ ずっと探し続けて
君と僕とで旅立ったあの「季節」


返事なんかいらないけど 楽しかった「季節」
少しだけ思い出して 胸が締め付けられて
切ないんだ

(P.S.の向こう側/CYaRon!)
 
他にもありますが、とりあえずここまで。注目すべきは歌詞の「時制」です。どうですか? 「季節」が用いられている文がどれも過去形で表されていることにお気づきでしょうか?
 
出会え、旅立っ、楽しかっ
いずれも、ある時点より以前の出来事を振り返っているんですね。先に述べた「青春」の条件に合致しているんです。加えて、この
 
前の出来事を振り返る」という表現は
外から赤い輝きを見ている
と、格言にそぐう形に言い換えが効きます。
 
更に、歌詞の引用はしませんが
上に挙げた以外でも
 
これから/μ's
WATER BLUE NEW WORLD/Aqours
 
など、楽曲の歌詞に「季節」が入るときは、同時に回想も盛り込まれる場合が多いらしい(『ユメ語るよりユメ歌おう』のような例外もありますが)。
 
よって、これらのことから、ラブライブ!における「季節」には
 

既に過去となった・・・・・・・・瞬間や特定の期間

という側面があると言えるのではないでしょうか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
…話はまだ終わりません。
回り回って、話題は振り出しに戻ってきます。思い出して頂きたいのは一番最初に投げかけた、あの問いです。
 
「1番・2番」でアニメを振り返った『そしぺ』にも、この考え方が持ち込めるなら。
 
 
Days are shining.
この1文を日本語にするとき
あなたは“Days”をどう訳しますか?
 
という問題の答えは
“Days”=「季節」となり、
文全体を訳すなら、
「季節は輝き」「季節が輝いている」
のいずれかになると思うんです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ただし、唯一の例外「ラスサビ」を除いて…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
表紙に小さくありがとうって書きたいな
いつかね…いつかね!

 

このあたかも青春の中にいるかのような歌詞こそが、前提を覆す「最後の矛盾」です。
 
「青春」を過去のものとして見ている者が、
「いつか」なんてことばを使うでしょうか?
 
 

 

4.『そして最後のページには』。


今までに挙げた「矛盾」は

① 「μ'sの終わり」は過去の問題か?
② ラスサビの「真っ白なノートブック」とは?
③ ラスサビの“Days”はどう訳すのか?
以上3つです。
 
 
並べてご覧頂くと、これらの「矛盾」は全て
「ラスサビで海未は何の話をしているのか?」
という問題に収束していることがお分かり頂けるかと思います。
 
 
ありもしないアニメ3期の話?
 
それとも、TVシリーズの特典曲なのに映画の話?
 
…と、さっきは問題をはぐらかしてしまいましたが、この記事の項目もこれが最後。いよいよ回答を明示するときが来たようです。
 
 
これは僕個人の勝手な考えですが、
海未が『そして最後のページには』のラスサビでしているのは、μ'sの解散後の話。
 
つまりここでは、
 
残されたメンバーでスクールアイドルを続けるか、否か?
という問いに対する、海未なりの決心を書いているのだと思います。
 
我ながらあまりに突拍子もない話ですので、ここからは、そう考えるに至った理由を順番に見ていきましょう。
 

「ラスサビ」の書き出し時点で、「μ'sの存続問題」には答えが出ていた。更に、それが笑い話になるくらいに大きな時間的な隔たりがあった。
「ラスサビ」の歌詞は、2番のサビを書き終えてしばらくの後、新たに加筆されたものである。


2番が終わる時点で、「作詞ノート」のほとんどは歌詞で埋められている。
「真っ白なノートブック」とは、まだ何も書かれていないノートのこと。よって、
ラスサビの「ノート」≠それ以前のもの
と取るのが自然である(ここでは、新調したと考える)。


「ラスサビ」では明らかに未来の話をしているから、“Days”は「季節」と訳すべきではない。今回は、名詞“Day”の複数形「日々」として捉える。
 
まずは3つの「矛盾」の回答から。
次は、ここから重要な部分を抜粋してみます。
 
① 「ラスサビ」の歌詞は、2番のサビを書き終えてから、新たに加筆された
② 「ラスサビ」のノート≠それ以前のもの
③ 最後の“Days”は「季節」とは訳さない
 
これらを踏まえたうえで、思い出して頂きたいのは「Aメロ・Bメロ」で行われたこと──アニメの物語を振り返るとき、海未がメンバー全員の顔を思い浮かべていたということです。
 
 
ノートをめくり、仲間たちの顔を思い出した海未は決意します。「この皆となら、大丈夫」。
 
 
「μ'sが解散したあとも、私たちはスクールアイドルを続けていく」
 
「真新しい“真っ白なノートブック”に、これから歌詞を書き込んでいく」
 
 
 
加筆された「ラスサビ」は、そんな思いの表れです。そして、ここまで来れば、最後
Days are shining.
の訳も見えてくるのではないでしょうか。
 
現在進行形は稀に近い将来の出来事を表すことがありますが、この文が「未来形」の表現だとするならば、
 
「日々は輝くだろう」
すなわち、
「私たちはまた、輝けるでしょう」…。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『そして最後のページには』とは、μ'sの締めくくりであると同時に、新しい始まりの曲である…僕はそんな風に考えています。
 
 
Days are shining こんなふうにがんばれば
Days are shining ぴっかりと!

 

 

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